まいばら暮らしを楽しむ人010/梶谷早知さん
●移住のきっかけになったことはなんですか?
米原市へ移住する前は名古屋駅の近くの住宅街に住んでいて、その前は東京で働いていました。
でも、私は島根県の山合いの地域で育ち、また、農家だった祖父母の家で過ごした思い出が自分の根っこになっていて。なのでいつかは自然に囲まれた場所で暮らしたいと思い続けていました。また、夫は名古屋や東京などでの転勤がある仕事なので、夫が単身赴任の時でも、自分が「ここなら安心」と思える場所で子育てしたいと考えて移住を決めました。
移住先の条件は、夫が名古屋まで1時間以内で通勤できる場所でした。
実は、東京に住んでいた時に、初めて「冒険遊び場(プレーパーク)」という取り組みに出会ったんです。指導者や決まったプログラムはなくて、子どもたちはたき火や工作など、好きなことをして自由に過ごし、大人たちは「お互い様」の気持ちで子どもたちを見守り合う、子どもにも大人にもやさしい遊び場でした。そこがとても居心地がよくて、いつか自分も冒険遊び場を立ち上げてみたいと思うようになりました。
移住先を探す中で、米原市には冒険遊び場が3つ(2016年当時)もあるということを知りました。人口がそれほど多い地域ではないのに、子どもたちへの思いを持った方がたくさんいるんだなとびっくりしました。さらに、米原市には冒険遊び場への補助制度もあって。子育てに対する思いや熱量もすごい!と感じて米原市への移住を決めました。
●米原を拠点にしてみて良かったところはどこですか?
米原…というか大野木が良すぎました!(笑)ほんとにすごいんです!大野木には「大野木長寿村まちづくり会」という、シニアの方が中心になって活動されている団体があるんですね。毎週土曜日には地域の交流の場として食堂が開かれていて、その食堂に名古屋からお邪魔したところ、大歓迎してくださって。その出会いをきっかけに、大野木を拠点にした「冒険遊び場あじっこパーク(以下、あじっこパーク)」を作りたい!と思うようになりましたし、ここで出会った方々がご近所さんでいてくれることに喜びを感じました。
現在のあじっこパークの場所は耕作放棄地だったのですが、まちづくり会の方が地主の方とお話を進めてくださって使えるようになりました。その後も、夏場の草刈りや子ども食堂の調理、ログハウスや東屋の建設など、今に至るまで全面的に支えてくださっています。
また、市役所にも、子どもの遊び場を作りたいという熱い思いを持った職員さんがおられて、双方のサポート体制がとてもありがたかったです。
●名古屋での暮らしと米原での暮らしで変わったことは?
夫は都会育ちなので、現在の暮らしは異文化だと言っています。(笑)でも、地域の方と交流できていいと言って、集落の草刈りや会合にも進んで参加してくれています。片道1時間の通勤ですが、「東京と違って電車がギュウギュウに混まないから快適」だそうです。私は結婚当初から自然の豊かなところで暮らしたいとずっと言っていたので、その思いを理解してくれてありがたいです。
我が子たちも、あじっこパークで過ごしながら、自分で思うように過ごす心地よさを満喫しているように思います。「米原には長浜や彦根のような大型遊具のある公園がない」と不満に思う方もいるかも知れませんが、今ある自然環境を生かす余地が、米原にはたくさんあります!秘密基地づくり、工作、鬼ごっこ、ボードゲーム、おしゃべり…遊びのタネはいくらでもあると思います。何をしてもいいし、何もしないのもOK。そんな自由で大らかな雰囲気の中で、子どもたちが自分の持ち味を発揮できる空間になればいいなと思っています。
●梶谷さんから見た、米原のおすすめ度は何%?
100%です!あじっこパークで思い思いに遊ぶ子どもたちを見守りながら、大人はたき火を囲んで何気ない話で笑ったり、日々のモヤモヤをそっと話して聞いてもらったり。米原・大野木の雰囲気は本当に温かいです。米原での現地見学の際は、あじっこパークに寄っていただけたらうれしいです!