013/小原将矢さん

まいばら暮らしを楽しむ人013/小原将矢さん

「こはら農園」の農家として経営されています。
野一色でいちご栽培のほか、ブロッコリーや金太郎まくわなどを井之口で栽培しています。

移住のきっかけになったことはなんですか?

滋賀県内の大学を卒業後、名古屋へ拠点を移し3年ほど営業の仕事をしていました。両親が兼業農家だったので、名古屋に住んでいる時もよく実家に帰って作業を手伝ったりしていました。営業の仕事は大変なことも多かったので地元の企業に転職しようと思ったのですが、自分に合いそうな仕事がなかなか見つからなくて。それなら幼い頃から慣れ親しんできた農業で起業しよう!と思い米原へUターンすることを決めました。

帰ってきてからは、滋賀県立農業大学校に1年間通いながら就農セミナーで勉強し、翌年に開業しました。当時参加した就農相談会で“滋賀県で初めて農業するなら、トマトかいちごが失敗も少なく始められるよ”と教えてもらったので、まずはいちご栽培を中心に農業を始めました。

米原を拠点にしてみて良かったところはどこですか?

Uターン後も実家のある井之口に住んでいるので、幼い頃から私のことを知ってくれているご近所さんがたくさんいます。そのおかげもあって困った時には助けてくれる方も多く、安心して農業をやれてる感じはありますね。

現在は妻と父親、それから集落の方と一緒に4人体制で農業をしており、いちごハウスは3棟+育苗ハウス2棟まで増えました。そのほかにはブロッコリーと、米原市で古くから栽培されている鮮やかな黄色の「金太郎まくわ」の栽培もはじめ、美味しい農作物づくりに努めています!

あともうひとつ、米原に帰ってきた理由があって。それは、集落の高齢化により農地を守っていくのが難しいということ。井之口の農地は、ほ場整備(農家が協力して土地を出しあい、田んぼの形を整え効率のよい米づくりを可能にすること)がされてない地域だったんですね。なので、農地の問題を解消するためにもほ場整備をして、集落のみんなで守っていこうということで現在も整備を進めています。

また、営農組合も立ち上がったことで農地を守っていく体制ができました。組合がない場合ひとり一反(田んぼ1枚)ずつしか守れなかったものが、組合があることでみんなで広い田んぼを守っていけるようになりますし、大型機械を導入して効率よく作れるようになります。
こうやって徐々に協力体制を整えて、集落の若手組合員の参入にも繋げていくことも考えていて、現在は30代〜40代の若手が5人ほどいますよ。

名古屋での暮らしと米原での暮らしで変わったことは?

飲みに歩かなくなって健康的な生活に変わりました。(笑)農業を始めてからは17時には家に帰れているので、子どもと一緒に遊んだりする時間ができましたね。以前のままの生活であれば21時に帰宅することがほとんどだったので、その生活を続けていたら子どもと触れ合う時間を今のようには作れなかったと思います。

これからは子どもの成長に合わせて生活スタイルもさらに変わっていくと思うので楽しみです!

小原さんから見た、米原のおすすめ度は何%?

80%

飲み屋が少ないところはマイナスポイントですが(笑)、住むには全く不便ではないですね。自宅から東海方面へ行く時も、関ヶ原インターが近いので便利です。

米原駅前は新興住宅地も増えてきていて、どちらかというと田舎の近所付き合いみたいなものは薄くなっていると思いますが、僕が住んでる集落の周りはまだ濃いと思いますね。
消防団や自治会のお祭りなども大切にされている地域もあるので、これから米原に移住を検討されている方には、自分の希望する生活スタイルに合った地域を選ぶのがいいと思います。

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